高松高等裁判所 昭和33年(ラ)19号 決定 1961年12月15日
抗告人 杉本広一
相手方 渡辺芳恵
主文
一、原審判を取消す。
二、抗告人杉本広一は相手方渡辺芳恵に対し離婚に伴う財産分与として、別紙物件目録第一記載の土地及び同目録第三乃至第五記載の建物の持分二分の一を分与せよ。
三、抗告人杉本広一は相手方渡辺芳恵に対し、前項記載の土地につき離婚による財産分与を原因として所有権移転登記をせよ。
四、抗告人杉本広一は第二項記載の土地及び建物から直ちに退去し、これを相手方渡辺芳恵に明渡せ。
五、抗告人杉本広一の本件財産分与請求を却下する。
六、手続費用は原審及び当審を通じ各自弁とする。
理由
抗告人は原審判を取消す旨の裁判を求め、その理由の要旨は左の通りである。
一、本件抗告人と相手方との離婚の原因は抗告人の側にのみあるわけではない。即ち、抗告人は昭和十年六月相手方の養母である申立外渡辺藤野と養子縁組し、同日相手方と婚姻をなした。当時抗告人は高知県林産物検査員であり、昭和二十三年六月に退職するまで無事勤務していた。退職後は肩書住所で退職金八四、〇〇〇円を資本として相手方と共同で生活必需物資の配給業を営み、統制緩和に従い日用品雑貨商に転業した。昭和二十九年以降は右営業には相手方が主としてこれに当り、抗告人は補助的協力者となり他面農業を営み製炭業を兼営し、その収入を以て一家の生計を維持して来た。この間抗告人は居住地の部落区長或は中村市東中筋農業協同組合理事に選ばれている。抗告人は酒も飲まず、女道楽もせず、他人と争うこともない。かくして昭和二十九年頃までは夫婦間も不和でなかつたが、その頃から夫婦間にいわゆる嫌怠期を生じ、ヒステリー性の相手方は抗告人に叩きかかつて来るので抗告人は止むなく暴力を以てこれに対抗した。又抗告人がいわゆる入婿であるのに、相手方や藤野のいいなりにならなかつたのも不和の原因である。かくの如く、抗告人は真面目な性格であり、家業にも励んでいたものであつて、本件抗告人と相手方の離婚原因は抗告人側にのみあるわけではない。
二、原審判は左の如く事実を誤認している。
(一) 別紙物件一覧表(家屋)中の1・2・3の家屋は抗告人が実兄申立外杉本馬太郎から材料の贈与を受け、建築費用を支出して抗告人が建築したものであり、抗告人所有のものであるのに、原審判はこれを相手方所有と認定している。
(二) 別紙物件一覧表(土地)中15・16の土地は抗告人が昭和二十四年中に他に売却し、現に所有していないのに原審判は抗告人所有と認定している。同表中、1乃至3、18乃至20の土地は抗告人が自力で他から買取つた抗告人の固有財産である。
(三) 前記の通り、抗告人は退職金中八四、〇〇〇円を支出して相手方と共に生活必需物資配給業を始め、その後相手方が引継いだわけであるが、原審判は相手方の経営する雑貨品店の商品は時価二〇万円程度で、大部分が委託品であるというが、昭和二十九年当時相手方が営業を担当するようになつた頃には少くとも時価二〇万円相当の自己商品があつたのであるから、現在もこれがある筈である。又、抗告人が出資した右金八四、〇〇〇円については本件財産分与上特に考慮されるべきである。
(四) 原審判は藤野が相手方の扶養下にある如く認定しているが、藤野は前記同表(家屋)中の5乃至7、同表(土地)中の26乃至35の各不動産を所有し、独立の生計を営んでいるものである。
三、抗告人は今後、農業で生活をして行かなければならないが、原審判通りに前記同表(土地)中17の土地を相手方に明渡すときは、抗告人は直ちに住居に困るのみならず、農業の経営も不可能となり、又、他に住居を求めることは極めて困難な状態である。しかるに相手方は現に居住する同表(家屋)1乃至4の家屋を抗告人に明渡しても、同所より約二四米程しか離れていないところに藤野所有家屋(同表(家屋)5乃至7)があり、同家屋で藤野と同居することができ、又、同家屋で現在の日用品雑貨商を営むことは容易である。このような事情も斟酌し、本件財産分与に当つては、抗告人にも将来の生活がなし得るように考慮されるべきである。
というにある。
よつて審案するに、戸籍抄本(抗告人及相手方)、抗告人及相手方の各供述(原審及び当審)、証人杉本馬太郎、同渡辺藤野の各供述によると、抗告人は昭和十年六月二十四日相手方の養母申立外渡辺藤野と養子縁組し、同日相手方と婚姻をなしたが、昭和三十二年十二月十二日調停により離婚したものであり、右婚姻継続の期間中においても、双方の間に度々紛争が生じていたものであり、右離婚の原因は、必ずしも一方にのみ存するものとは断じ得ず、相互に婚姻関係を継続させるべき協力、努力の不足が右の結果をまねいたものと認められる。
次に記録に添付された各課税台帳謄本、高知地方法務局中筋出張所長田村義輝作成名義の「不動産の評価価格調査について」と題する書面、当事者双方から提出された各登記簿謄本、当事者双方本人の各供述(原審及び当審)、当審における証人杉本馬太郎同渡辺藤野の各供述を綜合すると、(イ)、離婚当時における抗告人所有財産は、別紙物件一覧表(土地)中の1乃至14、17乃至20の各土地(この昭和三十三年四月当時の登録税課税標準評価格合計二五九、六六五円)であり、(ロ)、相手方所有財産は同表中の21乃至25の各土地(前同価格合計四八、三五一円)、別紙物件一覧表(家屋)中の4の建物(この昭和三十三年三月当時の再建築評価格三六、一〇〇円)であり、(ハ)、同表中の1乃至3の建物(前同価格合計一六六、〇六〇円)は婚姻中双方が協力により得た財産でその共有に属するものであり(抗告人はこの三棟は抗告人の所有であるというが、この建物建築に当り、その材料を抗告人の兄杉本馬太郎から贈与を受けたものであることは認められるが、その建築費が総て抗告人の固有財産から支出されたとは認め難く、むしろ、相手方との協力による日用雑貨品商農業等により得たる収益から支出されたものと認められ、その他、その建築の目的、構造用法等からして協力により得た財産というべきである。)(二)、その他に相手方所有のものとして若干の商品があることを夫々認めることができる。
そうすると、右認定の(イ)の点につき別紙一覧表(土地)中の15、16の土地を抗告人の所有と認定し、又(ロ)の点につき同表(家屋)中1乃至3の建物を相手方の単独所有という認定の下になした原審判は、その分与の基礎となるべき財産の総額及び帰属についての認定を誤り、その誤つた認定の下に分与を命じたものであるから、右の点に関して本件抗告は理由があり、原審判は取消しを免れないものというべきである。
そこで進んで右財産の分与の方法について考えるに、前記当事者双方本人及び証人渡辺藤野の各供述、各課税台帳謄本、登記簿謄本によると、(イ)、前認定の相手方所有の不動産の全部及び抗告人所有不動産の大部分(別紙一覧表(土地)中の1乃至3、18乃至20の土地を除いた部分)は養母である渡辺藤野が自己の財産を夫々抗告人に贈与したものであること、(ロ)、婚姻中においては、抗告人は主として農業、製炭業に、相手方が前記建物で日用難貨品商に従事していたが、相互に相手方の仕事に対し非協力的であつたこと、(ハ)、離婚後は、相手方は右日用雑貨品商による収入が唯一の所得となるが、その額は少く、相手方一家の生計を維持してなお余裕があるという程でなく、もし現在営業中の右建物から他に移転するときは、その営業が極めて困難になることが予想されること、(ニ)、双方の間に子が三人あり、内二人は未成年者で相手方の扶養するところであり(もつとも、右未成年の子が成年に達するまで抗告人が養育料として一人一ヵ年一八、〇〇〇円宛を支払うことになつている。)、又相手方は養母藤野(当七〇年)も扶養しなければならないこと、(ホ)、抗告人は離婚後においては前記の所有不動産を利用して農業、製炭業に従事することになるが、その扶養すべき親族等はないこと(但し、前記の通り相手方との間の子に養育料は支払う)、(ヘ)、従来双方が同居していた別紙一覧表(家屋)中の1乃至4の建物に離婚後も同居することは困難であつて適当でないこと等の事情が認められ、その他前認定のような婚姻中及び離婚に到つた事情、双方の性別、年令等一切の事情を勘案すれば、抗告人主張のような諸事情を考慮に入れても、相手方が現に居住し日用雑貨品商を営んでいる前記建物及びその敷地を相手方の所有として同所で営業を継続させることとし、抗告人が他に住居を求めることは困難ではあろうけれども、それは不可能なことではないと考えられるから、抗告人をして右建物から退去させるのが適当であると認められる。
抗告人は右認定の事情中(ハ)の点について、相手方が養母藤野所有の家屋に移転することは容易である旨主張するが、前掲証拠によると、前認定の相手方居住の家屋と藤野所有の家屋は近距離にあるとはいえ、相手方の前記営業の実体からして、藤野所有家屋に移転した場合には、その営業が困難になると認められる。又、抗告人は同(ニ)の点につき、藤野は多額の財産を所有しているから、相手方が同人を扶養するために負担するところはないと主張するが、藤野が別紙一覧表(土地)中の26乃至35の土地及び同表(家屋)中の5乃至7の建物を所有することは認められるけれども、同人の年令等を考えると、今後相手方において同人を扶養するためには相当の負担が生ずると認められる。更に抗告人は、相手方は日用雑貨品商の商品を所有しており、右営業の前身であつた生活必要物資配給業の開始にあたり、抗告人がその資金として金八四、〇〇〇円を支出したものであるから、この事情は本件財産分与に当り特に考慮されるべきであると主張するのであるが、前記当事者双方本人及び証人渡辺藤野の各供述によると、右主張の配給業の開始(昭和二十三年)に当り抗告人が自己の退職金中から金八四、〇〇〇円を資金として支出したものではあるが、右配給業は右資金のみによつて始められたものでなく(現にその営業場所は相手方所有の家屋である)、結局右は夫婦がその生活のために共同して始めたものと認められ、又、相手方が現に有する商品の価格については、その正確な額を認定すべき資料はないが、原審における相手方本人の供述によると、その額は少額と認められる。従つて、右抗告人主張の点は、本件財産分与に当つて考慮すべき事情であることは言うまでもないが、これを考慮に入れても前認定を左右し得ない。
以上説明した通りであるから、家事審判規則第一九条第二項、第一八条に則り原審判を取消し、当裁判所みずから審判に代る裁判をなすこととし、主文第二項乃至第四項の通り抗告人に対し財産分与(家屋については、持分の割合を認める資料はなく、従つて各自二分の一宛と推定すべきであるから抗告人の右持分二分の一の分与を命じる。)及びこれにともなう各給付及び退去を命じ、抗告人の財産分与請求を却下し、手続費用は原審及び当審を通じ各自弁とするを相当と認め、主文の通り決定する。
(裁判長裁判官 渡辺進 裁判官 水上東作 裁判官 石井玄)
別紙省略